中世の今田

 (今田町史より)
 源平三草山合戦と今田



1 源平三草山合戦
三草山合戦は、源平合戦の中の一の谷の合戦の前哨戦ともいうべき合戦で、三草山(加東市社町)で行われた源義経の軍勢と平の軍勢との合戦である。
京都を追われて一の谷にかまえる平家の追討軍は、大手を攻める源範頼軍と搦手を攻める源義経軍の二手に分かれ、永寿3年(118424日、京都を出発した。西国街道を西へ福原・生田の森(神戸市)に向かった範頼軍に対し、1万余騎を率いた義経の軍勢は丹波路をとり、強行軍で翌日の夜には摂丹境の三草山東の山口、小野原に着いた。三草山西の山口には平資盛を大将とする平家の守備隊3000余騎が布陣していた。この後の様子について『平家物語』を引用すると、
『・・・・その夜戌の刻(午後8時)ばかり九郎御曹司(義経)、土肥次郎を召して「平家は是より三里隔て三草山の西の山口に大勢にて引へたんなるは今夜夜討に奇すべきか、明日の軍か」宣へば、田代冠者進みでて、申けるは「明日の軍と延られなば平家勢付行なん、平家は三千余騎、御方の御勢は一万余騎、はるかに利に候、夜討好かんぬと覚候」と申ければ、土肥次郎「いしう申させ給う田代殿哉、さらばやがて寄せさせ給え」とて打立けり。兵共「暗さは暗し如何せんずる」と口口申ければ、九郎御曹司「例の大たいまつは如何に」と宣へば、土肥次郎「さる事候」とて小野原の在家に火をぞかけにける。是を始めて野にも山にも草にも木にも火をつけたれば、昼にはちっとも劣らずして三里の山を越ゆきけり・・・・』
 こうして夜小野原に着いた義経軍は、この夜を夜討ちと決め、民家や行く道々の山野につけた火を大松明として進軍し、三草の陣に夜襲をかけた。
合戦は翌日であろうと油断していた平家軍は、「弓をとる者は矢を知らず、矢をとる者は弓を知らず、人の馬に己が乗り、一匹の馬に二、三人乗る者もあり、主は従者を知らず、親は子を省みず、闇の中で多くは友討ちにあい、平家の軍勢、やにわに五百余騎討たれぬ。」ありさまで大敗した。
資盛らは高砂から船で四国の屋島に逃れ、義経軍はここから南下して福原の平家軍を襲撃するため、鵯越に向かう。
『平家物語』は平家一門の栄華とその没落・滅亡を描いた物語である。これは物語であるから、必ずしも史実とは一致しないが、源平三草山合戦における今田に関する部分は以上のようである。
当時和田寺山頂にあった東光寺(現和田寺の前進)は、このとき義経軍の放火によって全焼したといわれる。



2 義経伝説
源義経は英雄視されただけに、今田にもさまざまな伝説が残されている。その主なものをあげると次のようである。

 只超峠
市原から加東市社町上鴨川へ越す峠で、義経軍が三草に向かうとき、平家の攻撃を受けることなく、ただやすやすと峠を越えることができたことからこの名がついたと伝えられる。明治6年(1769)成立の『丹波志』によると、「伝ヘ言フ、義経小野原ノ人家ニ放火シ、其光輝ヲ以テ三草山ニ至ル、因テ名ヅク」とある。

また一説には、江戸時代、藩の年貢米を社町大門まで運ばせるのに「只」(無料)で運ばせたところから名づけられたという俗説もある。

 オロ峠
義経の軍勢はこの峠を越えて小野原に入ったとも伝えられる下小野原から丹南町油井へ越す峠で、義経軍がオロオロしながら超えたという。

 不来坂
『丹波志』によると、源氏方は、平家の軍勢がここに来て迎え撃つであろうと思っていたが来なかった。すなわち「平家不来坂」というところから名付けられたという土地の人は伝えている。」とある。

 千年家
下小野原にあって、義経が休息した所と伝えられる。
正徳2年(1712)成立の『篠山封疆志』によると「伝ヘ言フ、大同二年(807)飛騨州(岐阜県北部)ノ工匠(大工)造ル、其室深サ二丈四尺、広サ三丈六尺、柱木及四囲構フルニ松ヲ以テシ、一屑楔ヲ施サズ」とある。深さとは桁行、広さとは梁行のことで、構造材は松で、いっさい楔を用いていないという。『丹波志』によると、「−前略―何レニモ星霜ヲ経タルコト久シト察セラル、然ルニ安永四年乙未(1775)十二月二十日自火ヲ失テ焼ク、嗟呼時ナル哉」とある。


 偽首
『篠山封疆志』に、「偽首、小野原ノ北ニアリ、元暦中平資盛播州三草山ニ陣シ、先隊ノ士卒ココニ至リ、甲冑ヲ樹頭ニ懸ケ、偽リテ陣列ヲナシテ去ル、後人其地ヲ呼ビテ偽首ト言フ」とあり、平家方が木に甲冑を着せて偽の兵隊を置いたという伝説がある。『丹波志』によると、この偽首は「黒石村ヨリ四斗谷村ヘ越ス谷間ノ坂路ニアリ、黒石ノ方ニ土手ノ如キ跡アリ」とある。

その他
その他、『篠山封疆志』や『丹波志』によると、丹南町住山の西にある「集い」、黒石・四斗谷間の「会嶺」は、義経が兵を集めたところから、後の人がこう呼んだと伝えられるなど、義経の三草攻めにかかわる伝説は多い。 

 
 
 
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