今田に高等学校誘致
篠山農業高等学校今田分校
 今田分校の発足とあゆみ
昭和23年4月、学制改革により新制高等学校が発足したが、戦後の改革の中で特筆されるもののひとつに、定時制課程の高等学校がある。これは、修業年限を4か年とし、働きつつ学ぶという、勤労青年のために設けられたものである。
戦後の疲弊のどん底で、今田の発展の原動力は青年教育の振興をおいてほかにないという基点に立ち、僻地で交通不便な今田の青年に学ぶ機会をという、教育最優先に力点をおいた地元の熱意と努力によって、県立篠山農業高等学校誘致の念願がかない、昭和23年12月、その定時制課程(定日制)として今田分校が開校された。
当初は今田小学校校舎を共用して発足したが、昭和26年、今田字一本松の地に校舎を独立した。昭和38年(1963)4月より、本校の校名変更に伴って篠山産業高等学校今田分校となったが、高校への進学率が高まるにつれて入学者も増加した。しかし、子どもの出生数減少という社会全般の傾向の中で、丹南分校に統合のやむなきに至り、昭和44年(1969)3月、第18回の卒業生を送り出して廃校となった。
社町をはじめ今田町外からも入学したが、そのほとんどは今田中学校卒業生で占められ、20年間にわたる校史から400人余りの卒業生を輩出し、地域青少年の教育に大きく貢献、農村の教育水準をたかめる上で大きな役割を果たした。 
 
昭和30年頃の今田分校  校舎の裏は実習農場
 
 
inserted by FC2 system