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子供の頃に覚えた味は生涯の食の基本になる。
戦後の学校給食で覚えたパンの味は大人になっても忘れない。
食糧難とはいえ当時からアメリカの食糧戦略にまんまと乗ってしまった感がある。
当時アメリカは小麦や大豆、トウモロコシをはじめ牛肉などがあり余り、食糧の生産過剰であったと言われている。そのために輸出消費国を探していたところ、敗戦による食糧不足の日本に焦点が絞られたと言われている。
当時は日本のお米の生産も質・量とも不足し、価格も高く、そこに目を付けられて、アメリカからの小麦粉の輸入が始まったのである。
そしてまもなく、キッチンカーによる小麦粉の料理や肉料理の推進が計られたので有る。
当時は民主主義がもてはやされ、欧米の食文化に憧れ、このキッチンカーによる料理講習に日本中の主婦たちは我れ先にと競って集まって行ったので有る。
昭和二十年代は米の価格も高く、小麦が売れやすいのではないかと目を付けたアメリカはキッチンカーで小麦消費の拡大のため日本中を走り回り、小麦を中心とした料理講習会を開いたり、学校給食の推進など意欲的に取り組んだのである。
この様な戦略によってパン食が日本人の食生活に深く根づいてしまったのである。
当時「めしの食べ過ぎは短命。白米を食べ過ぎると頭が悪くなるとか、早死にする」と本気で栄養指導を行った時代である。
その結果、現在小麦使用量は米の使用量の半分以上にまで成ったのである。そして、その90%以上がアメリカからの輸入に頼るのが現状です。 |